第二十一回 キャッスルエクセレント

2019 12/12  


私が初めて見たコンサートは、1990年、エアロスミスのパンプツアー
アット大阪城ホールです。

遊園地や動物園、催し物会場、旅館等のロハで見れるライブ演奏を除いた、つま
り金を支払って自ら会場にその演目を目当てに足を運ぶ連中と一緒に演奏を初め
て見たのが城のエアロでした。

これは・・・もう、凄かった。
二階の右、真ん中位の席。今となってはまぁまぁいい席で見れたと思うのです
が、まぁ初めて尽くしの私からしたら
「ええ!?・・・こんなにステージから遠いの?」

舞台がデカいのはいいけど、スティーブンやジョーがライブ中巨大化する訳も無
く、凝った舞台セットをアチコチ走り回るスティーブンを遠くから見る感じは、
今も鮮明に脳裏に焼きついている事からも最高クラスのライブだったのですが、
当時はイライラと悔しい気持ちがちょいとありました。

とにかく、城ホールはおろかコンサートホールというものに足を踏み入れる事自
体が初めて。
プロのしかも一流のロックバンドのライブ演奏が初めて。
そこに集まる連中の服装、髪型、盗み聞く会話の内容。
ライブ前のあの何とも言えない、何っとも言えない最高の雰囲気。
開始時のあの、ワーッ!!!ってやつ。
全部初めて。

まぁ、トンでも無かったですわ。
未知の情報が多過ぎる時の自身の反応が大好きです。
このコンサートしかり、初めて航空自衛隊航空祭でF15Jのハイレートクラ
イムを見た時の反応しかり。
一生脳裏を離れない。 白いトラウマ、みたいなお宝体験、経験。


音?音響? これもすごく良かったですね。
その後様々な外タレを城ホール他色んな所で見ましたが基本的に城と私の相性は
いいです。
私の知り合いは、可能な限り大阪城ホールでは誰も見たくない! と言います。
解からないが・・・わかります。 相性で片付けましょう。

大好きなAC/DC。
よっぽど暇で、且つチケットが何故か無料で手に入った・・・くらいの事が無け
れば、もう行きたくありません。
城と埼玉のスーパーアリーナで一回ずつ見ましたが、PAのエンジニアがダメで
した。
数年空いた別会場で同じエンジニアでしたのでバンド付きの人なのかと思います
が、このガイジンのおっさんにかかったら私の耳では受け取れません。
そんなイチャモンを付ける人に会った事が無いしバンドの信頼も厚いでしょう。
ま、これも相性ですな。
今の所、城といえども散らかる時はチラカる見本にさせてもうとりま。

無論アンガスのパフォーマンスは最高過ぎて、私の一生モノの宝物ですから行け
て、見れて本当に良かったです。

 

忌野清志朗のオールタイムでは、リトルスクリーミングレビュー時が打ッ千切り
で好きなので1998年だったかしら? ビックキャットでのトラベリンカフェ
の2DAYS、これが最強でございます。
かーなり前の方で見れましたし、音も最高。
何より私にとって完璧過ぎるバンドで発揮される真の清志朗を見た! 感が一番ですかね。
もー本当にコレは私の見たライブ体験の生涯ベスト1位ですわ。(涙)
ビックキャット、何か知らんけど見やすいし。(これメッチャ大事)

何故か解からないけど見にくい、という会場が大小に係わらずありんす。
この相性は大事で、そういう会場では
「ああ・・・ええライブやったな。」という最低ラインの満足度すら自分自身か
ら捻り出せない確率が高くなります。
好きで見に行ってる演者なのに・・・。
何かトラブルがあった訳でも無いのに・・・。


大阪城には野外音楽堂ってのもありますな。
清志朗はじめ、色々見させてもらいましたが・・・やっぱり私はココはブルース
カーニバルが常に、真っ先に思い浮かびます。
恥ずかしながら、単独の来日ブルースマンやバンドを未だに見に行った事が無い
ので、このブルースカーニバルの数年間が私のリアルブルーズ体験の全てです。

1990年に大阪城とエアロで色々な初体験をイタした一年前の1989年、
U2がジョウホールに来日した。そのオープニングアクトが、B・B・キング
でした。
当時の私ではU2やB・Bを見ても ?? だったでしょうが、それでも・・・
見たかった!

そして1991年オーサカキャッスル、ディープパープル。
前座のロッカーベイビーズという謎の日本人バンドが90分程ヤり、パープルは
大体、およそ、概ね、約一時間ちょい位あたりで終了。
しかし、この日の目玉はステージに非ず。
お手製のDPマントを背にジッポーライターと思しき火気を右手に掲げ、一階客
席を乱走しまくった男がガッチリ捕らえられ会場をあとにし、その後二度と戻っ
て来なかった。

彼が風を切った周辺の客は沸き立ち、否が応でも高まる久々のパープルへの
期待。
彼の右手の火が消えた事は、暗にその後の我々に降りかかる前座とメインの逆転
現象という悪夢の前兆であったのだろう。

火は全ての始まりであり、その消失がもたらすは最も古き暗闇という故郷。
英国魔術結社からの招待状は東洋の島国にとって先ずは大きな試練となった事が
思い出される。